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【大阪】「選択を狭める政治や差別には反発していい」 次世代に平和をつなぐ 移りゆく堺の歴史を激写 写真愛好家・中田鉄さん[10/10]


2018/10/10 16:14

写真愛好家の中田鉄さん=堺市中区で、矢追健介撮影
https://cdn.mainichi.jp/vol1/2018/10/10/20181010oog00m010048000p/9.jpg

中田鉄さん=堺市中区の自宅で

 堺市内で7月末、90歳を超えて初めて写真展を開いた。1960年前後に、街中で生き生きと遊ぶ子どもの姿などを捉えた約70枚の写真を並べた。「今の子どもにも、当時のように遊んだり学んだりしてほしい」

 履物職人の家に生まれた。小学校の頃から教科書には勇ましい軍人や天皇の話ばかり。「大きくなったら国のため、陛下のために」と教え込む修身教育で軍国少年になった。「行くなら早く」と志願し、1943年8月、広島県の大竹海兵団に入団。後に山口県の防府海軍通信学校でモールス信号などを学んだ。「間違う度に棒でたたかれ、尻が真っ黒になった」。母が時折くれた便りに励まされ、成績は1番。同校の教員補助に就いた。他の生徒は成績順に戦地へ赴いた。銃を撃てないように自ら人さし指を切り捨てて、軍法会議にかけられた生徒もいた。

 45年8月15日。新しい靴下を履いて練兵場に並ぶと玉音放送が流れた。将校らは無線機や毛布を持って学校を離れたが、淡々と業務は続き、9月に四国の航空隊へ転属を命じられた。しかし、四国の港で隊の解散を知らされ、軍服の兵章をひきちぎって海へ捨て、大阪へ向かった。「正式除隊ではないので脱走兵ですわ」

 故郷の堺は大規模な空襲に遭っていたが、両親の無事な姿にうれしさがこみ上げた。しばらくは日雇い労働や実家の靴作りで生活していたが、55年に地元の病院に就職。翌年に長男が誕生した。「成長記録をつけようとカメラを買ったのが始まりで、身の回りのことを撮り始めたんです」

 病院では医療と生活の相談員として従事し、ポリオ根絶や堺市の公害問題などに携わった。一方で周辺の被差別部落における生活改善にも力を注いだ。「出身地でもあるし、住民には住まいや仕事、教育が必要だった」。就職に必要な運転免許の取得支援や住宅改善事業などにも取り組んだ。自分たちの力で生活や健康を勝ち取った時代だった。

 しかし、今や後退を感じる。国歌を強制する動きや、「郷土を愛する態度」を教える道徳教育に、戦時の修身教育がよぎる。当時の子どもには選択肢がなかった。今の子どもたちにはどんな未来を用意できるのか。「憲法が保障する平和な生活や人権は、自分たちが運動することで守ってきたんじゃないか。選択を狭める政治や差別には反発していい」。写真の中では、自由を享受して遊ぶ子どもたちが笑っていた。【矢追健介】

 1926年、堺市堺区生まれ。17歳で海軍に入り、敗戦後の9月に復員。堺市内の病院で働きながら、被差別部落の生活支援に携わる。人々の生活や社会運動の様子を撮影し、堺市の舳松(へのまつ)人権歴史館に展示されている。77歳の時に写真集「喜(き)の回顧」を作った。

毎日新聞 2018年10月10日 地方版
mainichi.jp

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