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【野球】野村克也が語る「孤独との向き合い方」 家でも捕手だった僕、投手サッチーを失って


2019/05/18 10:37

猛妻に先立たれ1年余…野村克也が語る「孤独との向き合い方」(1/2)

伴侶は名うての猛妻でも、夫唱婦随ならぬ婦唱夫随を貫いた野村克也氏(83)。
男やもめになって1年余り、それでも元気に仕事もこなすプロ野球界のレジェンドが、孤独と向き合う処世術について、イチローについて、今のプロ野球について、ぼやきながら語った。

 ***

〈歴史的な名スラッガーなのに恐妻家。そしてぼやき。野村克也という人物は一見、とらえどころがないように見えながら、その実、「女房役」という言葉で、人物像をかなり語れそうだ。

その戦績は実に輝かしい。1954年のシーズン途中にテスト生として南海に入団すると、56年には正捕手に定着。翌57年に本塁打王を獲得すると、65年には戦後初の三冠王に輝いた。
70年に兼任監督になるが、77年に退任し、ロッテ、西武へと移籍し、生涯一捕手であろうとした。
80年に引退するまでの成績は、MVP5回、首位打者1回、本塁打王9回、打点王7回を数え、2901安打、657本塁打、1988打点を残している。


野村克也氏と亡き妻の沙知代さん

監督としても南海のほかヤクルト、阪神、楽天で、リーグ優勝を5回、日本一を3回達成。名将の名をほしいままにしたが、
一方で、率いるチームが快進撃を続けていても、口から出るのは前向きな言葉よりも、ぼやき。
加えて強いイメージは、45年間連れ添ったサッチーこと、沙知代さんの尻に敷かれる姿である。

だが、要は、生粋の捕手であり、投手を支える縁の下の力持ちだという意味で、野村氏は「女房役」であり続けたのだ。〉

サッチーは本当に自己中心のわがままな性格で、野球にたとえれば、「わがままな大投手」ですかね。
だから、僕はグラウンドでも家でも、キャッチャーだったんですよ。
彼女は妻らしいことをなにもしないで、全部お手伝いさん任せだったからね。
ご飯を食べるにしても、家で食べるのか、外で食べるのか、なにを食べるのか、というのも全部彼女が決めていました。
僕はただそれに従うだけだったから。でも、ピッチャーがいてくれないと、キャッチャーとしては、やっぱりさみしいもんですよ。

「手を握ってほしい」

〈沙知代さんが心不全で急逝したのは、2017年12月のこと。85歳だった。
この稀代の名捕手にとって、球を放る投手が不在になったのは、野球に勤しむようになってから、初めてのことだったはずだ。
その後の生きざまには、男やもめが生き抜くための、数々の人生訓が見出せる。〉

サッチーが亡くなる前日とかも、兆候は全然なくて、いつもとまったく変わらないように見えたよ。
ひとつだけ変だったのは、亡くなる日の朝、隣りのベッドで寝ていたサッチーが「手を握ってほしい」と言ってきたことでした。
数十年の付き合いのなかで、一度もそんなこと言われたことがなかったから、驚いたな。
数分くらい無言で手を握っていたと思います。彼女は直感の鋭い人だったから、いま思うと、なにかを感じていたんだろうね。

news.livedoor.com
2019年5月18日 8時0分 デイリー新潮

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