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【ゲームハード】任天堂vsソニー、「スーファミ」登場が新時代の幕開け “地上戦”で圧勝した任天堂が失冠した理由


2019/01/04 20:08

平成もついに最後の年となった。バブル崩壊後、日本経済は深刻な長期不況に陥ったが、発展著しい業界もある。その代表的なものがゲーム業界だ。ゲーム総合情報メディア「ファミ通」が発刊する「ファミ通ゲーム白書」によると、昭和から平成へと改元した1989年に約3500億円だったゲーム市場規模が、2017年には1兆5686億円。この30年の間に、実に約4.5倍に成長している。国内GDPの伸び具合がこの間1.3倍程度だったことを考えると、まさに平成は“ゲームの時代”と言えそうだ。AERAdot.では、その平成のゲーム30年史を、ハードを中心に3回に渡って特集。第1回は「スーパーファミコン」「ゲームボーイ」など平成初期を振り返る。

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 遡ること平成元年に発売された「ゲームボーイ」(1989)から「ニンテンドースイッチ」(2017)まで、主に36のゲーム機本体が発売された。なお、この中には「メガCD」や「PlayStation VR」などの周辺機器や、「ゲームボーイライト」「PlayStation 4 Pro」といった派生機は含んでいないため、実際にはさらに多くのゲーム機が発売されていることにも触れておく。

 国内で実際にどのような変遷を辿っていったのか、まず据え置き型のゲーム機から見ていこう。

■複数の発売延期のすえ登場したスーパーファミコン

 昭和を代表するゲーム機が「ファミコン」だとすれば、平成の新時代の始まりを告げたゲーム機は、平成2年に発売された「スーパーファミコン」(1990、以下、スーファミ)だろう。初代「ファミコン」が1983年に登場して以来、家庭用ゲームというジャンルを確立し、5年以上にわたり牽引してきたが、87年にNECホームエレクトロニクス(当時、以下NECホーム)から「PCエンジン」が、また88年には初の家庭用16bit機として知られるセガの「メガドライブ」といった「次世代機」が登場すると、ファミコンの独壇場にも陰りが見え始める。そこで、こうした「次世代機」に対抗するため、「スーファミ」の開発が急がれることになった。

 だが、開発は順調には進まなかった。最初に「スーファミ」の概要が88年11月に発表され、発売を89年7月としていた。だが、半導体不足などを理由に発売が複数回延期され、実際に発売されたのは1990年11月21日と、実に正式発表から2年もかかっている。

スーファミは“難産”と言えたが、CPUはファミコンの8bitから16bitに、表示可能な色数はファミコンの52色から3万2768色と約630倍に大きく向上した。また、任天堂のゲーム機としては初めてAV端子を搭載。スーファミで初めて、ピンの形をしているRCA端子に触れた方もいるかもしれない。ソフトも「ドラゴンクエスト」や「ファイナルファンタジー」シリーズなど多くのヒット作にも恵まれたが、最終的な国内販売台数では1717万台で、ファミコンの1935万台に届かなかった。95年には周辺機器「サテラビュー」を発売し衛星データ放送の受信にも対応したが全く振るわず、記憶の片隅で眠っている人も多いだろう。

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